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2016年12月4日日曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その0 仮説と検証

これから数回に渡り「かくばかり恋ひつつあらずは」などの「ずは」の語法について述べます。「「ずは」は、集中最も難解な語法で、永遠に説明不可能であろうといわれる。」は伊藤博(1995)の言葉ですが、「ずは」の難解さを示すためにしばしば引用されます。

一般の「ずは」と特殊な「ずは」の二種類の区別があるのか否か。あるとすれば、また、ないとすれば、「ずは」はどのように解釈されるのか。現時点で答えが出ていません。本稿は「ずは」の構文のすべてが否定の仮定条件文として解釈できることを示します。

現代に上代語の母語話者はいません。したがって上代語の意味を解釈するには万葉集、記紀歌謡、仏足石歌などの韻文や日本食宣命の散文のもとに推定するしかありません。意味の推定の面白い例を示します。

日本から生糸を輸入するため西洋の商人が横浜に住み始めた明治のころ、とある日本語人(日本語の母語話者をそう呼ぶにします)が見ていると、イギリス人だかアメリカ人だかが遊ばせていた犬を呼ぶのに

「かめや」

と言った。その人は次のように理解した。あの犬の名前はカメである。 日本語でも「ポチや」「シロや」と言うではないか。しかし英語人が言ったのは

“Come here.”
  
です。 この話は中学のときの何かの本で読みました。日本語人の推論仮定は以下です。これを仮説検証法と呼ぶことにします。

仮説1 あの犬の名前はカメである。 
仮説2 西洋語の「や」は日本語の「や」と同じ意味である。
仮説の検証 “Come here”を「カメや」と解釈すると発話の意味に矛盾がない。
 

結論 したがって、あの犬の名前はカメであり、日本語と西洋語の「や」は同じ意味である。 

その人がその後、くだんの西洋人が自分の子供や妻を呼ぶにも“Come here”と言うのを聞けば仮説に疑いを持つかもしれません。子供も妻も犬とも同じ名前とは不思議である。ひょっとすると最初の仮説が間違っていたのかもしれない。あるいは次のように考えるかもしれません。あの西洋人は妻を愛するあまり、同じ名前を子供に付け、犬にも付けた。あるいは、西洋ではカメというのはありふれた名前なのだ、と。

上代語に限らず未知の言語でかつ母語話者がいないものの意味の解釈はこのような仮説検証法以外に方法がありません。対訳辞書があれば別ですが、それは既に未知の言語でありません。古語辞典の意味はすべて仮説検証法で決定されたものです。 

仮説という言葉を国語学の分野で用いると反発を感じる向きもあるかもしれません。定説を仮説と呼ぶのは何事か、と。しかし自然科学の分野ではニュートンの法則もマクスウエルの方程式もすべて仮説です。数学のように人間が作った公理から出発する体系であれば、すべての定理が演繹されます。キリスト教などの神学もそうです。神の言葉(あるいは人間が作った公理)を記した書物から演繹した結果が天動説です。自然科学の法則はすべて反証が現われていない仮説なのです。  

では「かめや」の仮説検証法はどこが良くなかったのでしょうか。それは

AならばBである


BならばAである。

を同一視したことです。逆は必ずしも真ならずです。Aという原因を仮定すればBという結果が説明できるとしても、それはBの原因がAであることの証明になりません。 

単純な例を示せば分かりやすいのですが、上代語の意味の特定に「かめや」のようなことが行われていないとは言い切れません。ある単語や語法にある意味を仮定して歌意が通ることはその単語や語法がその意味であることの証明にはならないのです。その点に注意を払いながら、ミ語法、ク語法、ズハの語法などを検証しました。このうちズハの語法をこれから説明して行きます。

前置きが長くなりました。ズハの語法の原稿は2016年9月に完成し、同時に完成した「ミ語法」「ク語法」の原稿とともに雑誌に投稿することを考えていました。「ミ語法」はA誌に、「ク語法」はB誌に投稿しました(雑誌名は原稿の採否が確定してから公表します)。「ズハの語法」を他の雑誌に投稿しようと考えたのですが、横書きで掲載できないと言われました。この原稿は多量の数式を含みます。したがって縦書きの雑誌では読みにくくなります。A誌は横書き可能ですが、できれば様々な雑誌に発表したいと考えていました。  

横書きで受け付ける雑誌もありますが、そのためにはその学会に入会しないといけません。また、雑誌の刊行頻度が低いので、論文がアクセプトされても、掲載までに半年以上を要しそうです。さらに、反論が認められない査読方式では査読者が不慣れな数式意味を誤解しために不掲載という結論もあり得るのではないかと危惧しました。 物理の論文は掲載か不掲載かの理由が付されて回答され、著者がその理由に反論できます。その理由には様々なものがあり、中にはまったくの誤解もありました。そのような場合、反論の中で誤解を解くことが出来ますが、国語学の多くの雑誌では、少なくとも私が問い合わせた限りでは、反論できるシステムでありませんでした。

以上の理由で「ズハの語法」の論文はインターネット公開という方法を取ることにしました。  

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。 

参考文献(刊行順) 
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房)
Hermann Paul (1920), Die Prinzipien der Sprachgeschichte
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』

田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

 

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

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