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2016年12月5日月曜日

かくばかり恋ひつつあらずは その1 従来の仮説

万葉集や記紀歌謡にあらわれる「ずは」の語法は60余例ありますが、その半数近くは条件文と看做せないと言われてきました。たとえば次の歌で。このような「ずは」特殊な「ずは」と呼ばれます。 以下、これまでに提出された主な仮説を記します。

本居宣長(1785)は特殊な「ずは」を「んよりは」と読み替える仮説を提案しました。

1-1 かくばかり恋ひつつあらずは高山の磐根しまきて死なましものを 万03-0086  

つまり宣長の解釈は「かくばかり恋ひつつあらんよりは」です。小学館の新編全集は宣長説に従うとした上で「これほどに恋しいのだったら高山の岩を枕にして死んでしまう方がましです」と現代語訳しています。注釈に「このズハは上代語法の中で最も難しい問題の一つ」とあります。  

宣長はこの1首だけから「んよりは」の仮説を立てたのではありません。『詞の玉緒』には24首を万葉集から引用しています。万葉集には「ずは」の歌が60余例あります。宣長が引用しなかった「ずは」の歌はそのような読み替えが必要ないと判断したからだと思います。たとえば次の歌です。 

1-2 衣手にあらしの吹きて寒き夜を君来まさずはひとりかも寝む 万13-3282  

この歌の「来まさずは」は否定の仮定条件と解釈できます。「あなたがお見えにならなかったら」です。また宣長は「ずは」の説明の直前に「ねば」の説明を行なっていますが、そこにある「ねば」の用例はすべて通常の「ないので」でなく「ないのに」と解釈されるものです。したがって、宣長は「ずは」の中に否定の仮定条件文として解釈できないものがあるとして、特殊な「ずは」の一覧を24首として示したと考えられています。 

これに対して橋本進吉(1951)は新たな仮説を提出しました。次の歌は宣長説の「ずは」を「んよりは」で読み替えても解釈できないとし、「ずして」と読み替えることを提案しました。  

1-3 立ちしなふ君が姿を忘れずは世の限りにや恋ひわたりなむ 万20-4441  

「あなたの姿を忘れないならば」では歌意が通らないので「あなたの姿を忘れないで」と解釈すべきとしました。しかし宣長の24首の中にこの歌はありません。書き忘れでないならば宣長はこの歌を特殊な「ずは」と看做さなかったことになります。  

今日の万葉集の解説書は宣長説か橋本説のいずれかです。 新編全集が宣長説であことは既に述べました。岩波の大系は橋本説です。大意に「こんなにも恋い慕っていないで、高い山の岩を枕にして死んでしまったらよかったものを」とあります。

一方新体系は橋本説を支持しながら、現代語訳は宣長説を採用して「これほどまでに恋しい思いをしているくらいなら、高山の岩を枕にして、死んでしまう方がましです。」です。同書の注釈に「「恋ひつつあらずは」の「ずは」は、打消しの助動調「ず」の連用形に係助詞「は」の加わった形(橋本進吉『上代語の研究』)。文法的意味は「ず」の強意であるが「ましを」などと呼応する場合、文脈的意味としては、「・・・んよりは、むしろ」のような訳語が該当する。」とあります。

読者の中には、文脈的意味とは何か、文法的意味と何故異なるかなどの疑問を感じる人も多いでしょう。  橋本説の「は」強意を示すというのも、そのように仮定すれば橋本説の「ずして」の解釈が成立するというだけです。

宣長説と橋本説が特殊な「ずは」を説明する二大仮説ですが、それ以外の説を発表年の順に幾つか紹介します。  

大岩正伸(1942)は1-1を「恋はあまりに苦しいから、これほど恋に苦しまないですむならば、岩を枕にして死んでしまはう」と解釈しました。いわば「ずは」を「ぬためには」と読み替える提案です。林大(1955)は「仮定条件として解けるならば、それに従つたがよからうと思ふ」と述べた上で、「恋しがってゐないとすれば、(そのためにはいっそ)死んだがよからう」(死ぬより手がないのではあるまいか)」としました。これらは前件目的説と言えます。大岩説を継承するものに小柳智一(2004)があります。「これほど恋い続けていないのなら[ためなら]、(生きていないで)高山の磐根を枕にして死んでしまいたい」と現代語訳しています。  

宣長説の読み替えに理由を与えようとするものに濱田敦(1948)があります。本来は「あらば」と言うべきを「あらずは」と誤用したという仮説です。なぜそのような誤用が行なわれたかの理由を「「こんなにいつまでも徒に恋に悩んでいたくない」という気持が話者に存する為に、それが打消の「ず」となって、現るべからざる「かくばかり恋ひつつあらば」という条件句の中に置かれるに至ったもの」と説明しています。濱田敦(1948)の誤用説を栗田岳(2010)が継承しています。
 
鈴木一彦(1962)は1-1を次のように現代語に訳しています。「(今、私ハ家ニイテアナタヲ待ッテイマスガ)モシコンナ状態デ恋イ慕ッテイナイトスレバ、(私ハ今ニモアナタヲ迎エニ出カケテ行ッテソノ結果行キタオレテ)高山ノ岩根ヲ枕ニシテ死ンデシマウデショウモノヲ(ジットコラエテ私ハアナタヲ恋イ慕ッテイルノデス)」。この解釈は万葉集の注釈書の中では少数派ですが、「ずは」を否定の仮定条件と見る点で注目されます。  

吉田金彦(1973)は「ずは」を一律に否定仮定条件文と見た上で、この「ず」に「可能的意味」があるとし、1-1の現代語訳を「これほどまでに恋いながらえて行きえないのならば、いっそのこと高山の岩根を枕にして死んでしまいたいものだ」としました。 これを不可能説と呼ぶことにしますが、後で示すようにこの説はすべての特殊な「ずは」を一律に扱えない難点があります。

大野晋(1993)は「ずは」の機能はすべての歌に共通であるとした上で、これらの条件文を三つに分けました。つまり、成立した事象に対する反事実条件文、未成立の事象に対する反事実条件文、未知の事象に対する仮定条件文です。第一の条件文に分類される1-1を「作者は恋に苦しんでいる。この事態はどうにもならない。この苦しみから脱却したいと思っても、それは不可能なのである。そこで、高山の岩根を枕にして死んでしまえばよかったと思う。ところがそれもできない。」と説明しました。1-1の現代訳を与えていないが、類歌は「宣長のいうように『A・・・ンヨリハBスレバヨイノニ』と訳しても当たるものである」としています。この歌の解釈に関する限り大野説は前件目的説と言えます。 

(つづく)

最後に重要な注意点があります。ネットは著作権を放棄したと考える人もいるようですが、それは違います。また、著作権が放棄されたものならば無断引用は可能と考える人もいるようですが、それも違います。その点、十分にご注意ください。本ブログのすべての記事および本稿の著作権は著者である江部忠行が保有するものです。殆どの人にこのような注意書きが不要なのですが、ほんの僅かな人がいるために書かなくてはなりません。まあ、そういう裁判を起こせばこの研究が注目されるかもしれないというメリットはあります。 

参考文献(刊行順) 
本居宣長(1785) 『詞の玉緒』 『本居宣長全集 第5巻』(1970 筑摩書房) 
大岩正仲(1942) 「奈良朝語法ズハの一解」 『国語と国文学』 19(3)
濱田敦(1948) 「肯定と否定―うちとそと―」 『国語学』 1
橋本進吉(1951) 「上代の国語に於ける一種の『ずは』について」 『上代語の研究』(1951 岩波書店)
林大(1955) 「萬葉集の助詞」 『萬葉集大成 第6巻 言語編』 (平凡社)
鈴木一彦(1962) 「打ち消して残るところ - 否定表現の結果」 『国語学』

田中美知太郎(1962) 『ギリシア語入門』 岩波書店
吉田金彦(1973) 『上代語助動詞の史的研究』 明治書院
大野晋1993) 『係り結びの研究』 (岩波書店)
伊藤博(1995)『万葉集釈注』全20巻 集英社 1995-2000
小柳智一(2004) 「『ずは』の語法 仮定条件句」 『萬葉』 189
栗田岳(2010) 「上代特殊語法攷 『ずは』について」 『萬葉』 207

注釈書
体系 日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1957)
新編全集 新編日本古典文学全集 『万葉集 1』 小学館(1994)
新体系 新日本古典文学大系 『万葉集 1』 岩波書店(1999)

 

(本ブログのすべての記事および本稿の著作権は記事の著者である江部忠行に属します)

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