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2017年8月31日木曜日

萬葉学者であるとはどのようなことか? その8 Argument from authority 権威による論証

偉い先生が言うから正しい。それをArgument from authority(権威による論証)と言う。科学の世界ではそのような論法は通用しない。しかし萬葉学の世界は別である。

 「おもてなし」という言葉の解説がネットにあった。「関西大学文学部国語国文学専修」の乾善彦氏の説明がある。乾氏は「 関西大学 文学部 総合人文学科 国語国文学専修 教授。大阪市立大学文学部卒業。大阪市立大学 博士課程 文学研究科卒。」だそうである。ここで括弧で括った部分がその説明の正しさを論証するauthorityなのである。

「もてなす」の「もて」は「接頭辞」で「意識的に物事を行う、特に強調する意味を添える」と言う。もしも、その説が正しく、萬葉学者の多くの意見が一致するのであれば、authorityの理由を書かない。それを書くことは逆にその説がそれほど決定的と言えない証拠ではないだろうか。

乾善彦氏の説の検討は別の機会に譲り、ここではさらなるauthorityの説を検討したい。

大野晋氏の名前は日本語学の分野でauthorityである。経歴や学歴を書く必要がない。その大野氏の「負けず嫌い」の説明がある。私はそれに疑問を感じる。

大野氏の説明は次の通りである。方言に「ず」という助動詞があり、「む」と同じ意味である。助動詞の「む」にサ変の「す」が付き、「むず」となり、さらに「ず」となったと言う。したがって、「負けず」は否定の意味ではなく、「負けよう」の意味だそうである。つまり、負けないことを嫌うのではなく、負けようとすることを嫌うと言う。

以上は大野晋著『大野晋の日本語相談』(朝日新聞社)による。

私は大野晋氏の説に納得しない。この「ず」は否定の意味である。

8-1a 食わず嫌い
8-1b 負けず嫌い

この良く似た形の二つの語の「ず」の、一方は否定で一方は推量ということがあり得るだろうか。同じ時代に同じように頻繁に使われる語である。

「負けず嫌い」はスポーツなどの勝敗に使われない。議論で絶対に譲らない人を言う。つまり、ここで言う「負ける」は客観的に勝敗が決する意味ではなく、主観的に「負けを認める」ことである。「食わず嫌い」は、その食物を食べてみることをせずに無条件に食べることを嫌う。同じように、「負けず嫌い」は、議論で負けを認めて、折れてみることをせず、無条件に負けを認めるのを嫌う。

食わず嫌いの人は、一度食べると嫌うことを止めるかもしれない。負けず嫌いの人も、一度議論で折れると、次からはあっさり負けを認めるようになるかもしれない。

このように考えるならば、食わず嫌いと負けず嫌いは全く同じ構文だということがわかる。

萬葉学者が権威で学説の真偽や良否を判断するのをやめるとき、萬葉集は今まで私たちが気付かなかった新しい意味を私たちに見せてくれるに違いない。





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