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2017年11月21日火曜日

To sue or not to sue その4 高山善行(2005)の問題点(1再) 演繹でない推論(つづき)

高山善行(2005)が演繹でない推論を演繹と述べ、その推論が論理的誤謬(fallacy)でもあることをTo sue or not to sue その2 高山善行(2005)の問題点(1)に書いた。言語学(国語学)は物理学や化学、生物学などと同じく経験科学の一分野である。経験科学が新しい知見を獲得するのは帰納的な方法によるしかない。これは科学の常識である。国語学系の読者のために和文の参考文献として以下をあげる。

ハンス・ライヘンバッハ著、市川三郎訳、『科学哲学の形成』(みすず書房 1954)
カール・ポパー 著、大内義一、森博訳、『科学的発見の論理』(恒星社厚生閣 1971)
内井惣七著、『科学哲学入門』(世界思想社 1995)

英語が嫌いでなければ、本稿が参照したReichenbach (1951)とPopper (1959)が良いと思う。日本の哲学者たちからReichenbachは終わった人と看做されているようだが、理系の学生は教えられるところが多いはず。

経験科学において新しい知見を得るのに「演繹的方法を用いた」と書くのは 「占星術を用いた」「火星人に教えられた」などと書くのと同じである。なぜ高山氏はそのような主張に到ったのだろう。

高山善行(2002)は「4・3 帰納主義と演繹主義」で
伝統的な解釈文法では、徹底的な用例の帰納、類型化という方法が取られていた。そこで得られたデータが現在の文法史研究の基礎的な部分を担い、大きく貢献していることは事実である。なるほど、帰納主義の方法によって、用例分布の量的傾向、偏りは明らかになるだろう。しかしながら、用例分布の量的傾向の報告にとどまるなら、表面的な現象の観察だけで終わってしまう。用例が「なぜ無いのか」という問題に踏み込まなければ、文法現象の整理はできても説明ができない。
と述べ、北原保雄(1984)を参照して、
北原保雄(一九八四)は、文法研究で帰納法重視の方法から演緯法重視の方法への転換を提唱しているが、・・(中略)・・本書もこうした考え方を基本的に支持するものである。もちろん、ここでの演緯重視は、用例の帰納を軽視するものではけっしてない。徹底した用例の帰納は必要である。要は、現象の整理にとどまらず、用例非存在の論理を考えなければならないということである。「用例が存在しない」ことも、(その必然性が問えるとすれば)価値ある言語現象の一つである。
 」
と結んでいる。

しかし、北原保雄(1984)が述べる「経験科学における演繹的研究」は
要するに、観察記録(protocol statement)を「説明」しうるもの(ここでいう「説明」とは、そこで説明される発言・命題を導き出すような理論体系を作りあげることである)として仮説(hypothesis)が立てられるというだけでは言語理論の大きな体系は構築されないのであって、その仮説が他の経験的事実にも広く適用されうるものであることの「検証(verification)」が重要なのである。
と北原氏が書くように、仮説と検証という帰納的方法である。ちなみに私が「ズハの語法」「ク語法」「ミ語法」の論文で用いた方法でもある。数理科学においては特に「仮説演繹法(hypothetico deductive method)」と言い、「説明的帰納法(explanatory induction)」とも呼ばれる。

例をあげて説明する。ニュートンの重力の式という仮説がある。二つの物体の間にはそれぞれの質量の積に比例し、物体の重心の間の距離の二乗に反比例する力が働く。

式4-1 F = G M m / r^2

Gは重力定数、Mとmは物体の質量、rは物体の重心の間の距離である。なお、上に書いた「仮説」という言葉を奇異に感じる読者はKarl Popper (1972)の

All theories are hypotheses; all may be overthrown.
理論はすべて仮説である。すべてが覆されうる。

を参照されたい。

式4-1から惑星の運動が演繹される。仮説である式をあたかも公理の如く扱って、そこに数値を代入したり、式を変形したりして、何らかの結果を導く。その結果が現実の観測と一致するかどうかを調べる。仮説から演繹されたものが観測事実と異なれば仮説は棄却される。一致するならば、当面はその仮説を正しいものとして扱う。これが仮説演繹法である。名前に演繹の文字があるが、帰納法の仲間である。

北原氏は仮説演繹法を演繹的研究として説明した。しかし高山氏は仮説演繹法を演繹的方法と誤解したのではない。もしもそうであれば、高山善行(2005)は仮説と検証という経験科学の正当な方法を用いていたはずである。高山氏の誤解は二つある。第一に、経験科学で演繹的方法が有効であると誤解したこと、第二に、後件肯定という論理的誤謬を演繹と誤解したことである。そのため、高山善行(2005)の推論は北原保雄(1986)が説くのとは全く異なるものになってしまったのである。

査読者を惑わし、おそらく自分自身をも惑わせたのは、高山善行(2005)の4.1節の
「む」は名詞句の非現実性を明示する標識(marker)として働いている。
という文言であろう。

言語学でいう標識(marker)は抽象的なものでなく具象的な存在である。具体的には、日本語であれば、接頭辞、接尾辞、助詞、助動詞を言う。「標識(marker)として働いている」ではなく「標識(marker)である」と言うべきである。

つまり、

式4-2 標識 = 接頭辞+接尾辞+助詞+助動詞

であり、これは次の式と同様である。

式4-3 助詞 = 格助詞+係助詞+副助詞+接続助詞+間投助詞+終助詞

格助詞の「を」は対格を表わす標識である。次の表現は等価である。

式4-4 「を」は対格を表わす標識である。
式4-5 「を」は対格を表わす助詞である。
式4-6 「を」は対格を表わす格助詞である。

同様に次の表現も等価である。

式4-7 「む」は非現実性を示す標識である。
式4-8 「む」は非現実性を示す助動詞である。

時代別国語辞典の上代編の「む」の項には次の説明がある。
動詞・形容詞・助動詞の未然形(形容詞は~ケの形)に接して、非現実の事柄について予想をあらわすのを原義とする

高山善行(2005)の4.1節の推論と5節の結論は、演繹ではなく、「む」の連体形が現実の事象と共起しにくいという観察結果の理由の推測である。ロッカーに入れておいた財布の金がなくなっている、という観測結果を説明しうる原因として、特定の人物が盗んだという仮説が成り立つが、その仮説が演繹されたわけではない。財布の金がないという結果を導きうる原因は他にも存在する。

上記の推論は、正しくは、連体「む」が現実世界の事象を記述する例を「蜻蛉日記」「枕草子」「源氏物語」の中に見出せなかった理由として、「む」は非現実の事柄を予想するという従来の仮説が有効であることを確認した、というものであろう。

なお、同様の記述は山本淳(2003)にもある。結論の一部を引用する。リンクから原論文を参照されたい。

i 連体形「む」は、未確認の事実について想像する推量辞であり、「む」が持っている本来のはたらきである。
ii 連体形「む」の有無に関して、話者が未確認の事実であることを明示する必要があると判断した時に表れて、その使用については恣意的である。
iii 連体形「む」は、未確認の事実についての想像を示すということと関わって、「む」と意味的に相関する文節に推量辞を伴いやすい。

なお山本氏はiとiiiとここに引用しなかったviについて「先行研究にもすでに明らかにされている」ことを附言している。逆に言えば、iiは山本氏が得た新知見であろう。高山善行(2005)の次の記述(第5節)は山本淳(2003)のiiと同じ趣旨であろう。

Aタイプは無標の名詞句であり, 現実性一非現実性の意味解釈は基本的には文脈によって決定される。一方, Bタイプは「む」でマークされることによって, 現実性の解釈は排除され, 必ず非現実性解釈となる。


既にある山本氏の説を「演繹」により導いたのならば高山善行(2005)に価値があるが、高山氏の推論は演繹でないし、そもそも言語学(国語学)のような経験科学において演繹により新知見が得られることはない。

最後に前々回と前回の引用を繰り返す。

「公表された作品については、みる人ぜんぶが自由に批評する権利をもつ。どんなにこきおろされても、さまたげることはできないんだ。それがいやなら、だれにもみせないことだ。」

藤本弘(藤子・F・不二雄)氏の「エスパー魔美」からの引用である。「法華狼の日記」さんのサイトに詳細な解説とそれに対する読者の反論と議論がある。セリフに漢字が少ないことから窺えるように、この漫画は小中学生を読者と想定したものである。自分の論文が批判されて怒っていたら理系の研究者はやっていられない。相互批判は学問の共同体の当然の権利であり、それが学問を発展させるのである。この当然すぎる常識を萬葉学者たちが受け入れてくれることを祈る。


引用文献
Reichenbach, Hans (1951) The Rise of Scientific Philosophy.
Popper, Karl (1959) The Logic of Scientific Discovery.
Popper, Karl (1972) Objective Knowledge: An Evolutionary Approach.
北原保雄(1984) 『文法的に考える』(大修館書店)
和田明美(1994) 『古代日本語の助動詞の研究ー「む」の系統を中心とするー』(風間書房)
高山善行(2002) 『日本語モダリティの史的研究』(ひつじ書房)

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